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トランプ大統領誕生と日米安保、吉田ドクトリンの揺らぎ

Shinzō Abe and Donald Trump (1)
出典:Wikimedia Commons

願望とは逆に、日米安全保障体制は揺らいでいる

日本の安全保障はトランプ大統領の誕生によって、今、間違いなく揺らいでいます。大統領選挙の衝撃から1週間経ち、日本は平静さを取り戻しているかのように思えます。しかしながら、それは願望に支えられた平静に過ぎません。トランプ氏はビジネスの世界にいたから現実主義者だとか、必ずしも公約を守るとは限らないとか、公約を軌道修正し始めているとかいう報道、解説ばかりが聞こえてきます。大統領選選挙前の「クリントン優勢」報道よろしく、メディアはそうなって欲しいという願望を垂れ流し続けており、反省の色がまるで見られません。と言うのも、トランプ次期大統領が選挙期間中に繰り返し演説した米軍駐留費の追加負担に応じないのなら在日米軍の撤退も辞さないというスタンスについては未だに変更していないからです。結局のところ、トランプさんの胸一つで日本の安全保障体制が揺らぐ、いや現実にもう揺らいでいる状況下にあり、大半の日本人にとっての願望とは真逆の方向に現実は進んでいます。

リベラルも、保守も理解できる価値観(吉田ドクトリン) 

大半の日本人にとっての願望とは、現在の日米安保体制が変更されず、軍事費は諸外国に比べて相対的に低く抑えられ、経済活動に専念し、戦争の不安のない安定した平和の中で日々の暮らしを送っていくことだと私は考えています。この考え方は、戦後の混乱する政治状況の中を何とかまとめ上げ、後年になって歴史家や政治学者から高い評価を受けた吉田茂首相が敷いた政治思想(吉田ドクトリン)と呼ばれています。そして、この価値観は戦後から今日まで一般の国民に幅広い支持を得ていて、リベラル陣営も、保守陣営も共に理解できる共通の価値観でした。そして、それにベースにした日本の政治は、安保改定後は極端な対立に陥ることもなく、非常に安定した運営がなされてきました。表向きは憲法9条を巡って対立しているかのように見える護憲派改憲派も、グループ内の主流派は、積極的支持、消極的支持の違いはあれ、いずれも日米安保体制を支持(隠れ支持を含めて)していました。なぜそういうことになるのかというと、国民の支持もさることながら、実は日米安全保障条約はリベラル陣営、保守陣営どちらの側からも都合よく解釈することができる二面性を持ったものだったからです。

日米安保体制がある限り、護憲派改憲派もほとんど変わらなかった

日米安全保障条約は軍事同盟ですから、軍事力という物理的な力、しかも世界最強の軍隊であるアメリカ軍にによって日本の安全が保障されるのだという保守陣営の解釈は比較的理解がしやすいものです。これに対し、リベラル陣営は日米安全保障条約によって、アメリカの軍事力、政治力が日本に留まりつづけるので、日本の軍国主義化、反動政治を抑えることができるという考え方に立ちます。いわゆる「瓶のふた論」*1というやつです。そして、そのいずれに立場に立っても、結局のところ最初に述べた日本人の共通の価値観、つまり「軍事費を抑え、経済活動に専念し、戦争の不安のない平和な日本」を実現可能なのです。ですから日米安保がある限り、憲法9条で考えを異にする護憲派改憲派も表向きは対立しているように見えて、最後は落としどころのあるプロレスごっこに興じることができました。自民党が、社会党党首を首相として担ぎ出す(村山内閣)のも当然可能でした。

アメリカは「瓶のふた論」をやめようとしている

リベラル派の唱える「瓶のふた論」は、実はアメリカの対日政策の柱にあるものです。若干アメリカ民主党の方が共和党よりこの論に傾いているのですが、それはさほど違いはありません。現在もアメリカが東アジアや対日政策を構築する上で「瓶のふた」論は未だに強い影響力を持っている考え方です。地政学的に考えるとすぐにわかるのですが、アメリカは東側から西にあるアジアを見ています。アメリカのアジアへの道は同盟国日本があるから開かれているのであり、アジアの強国日本が西側を向いてアメリカと敵対した時、アメリカの国益にとって脅威となることは必然でしょう。だから、アメリカは日本と同盟を結びつつも、日本が増長しないように中国に肩入れしたり、韓国側に立ったりするのです。日本の存在はアメリカにとっては同盟国であると同時に仮想敵国でもあります。しかしながら、アメリカは今回の大統領選挙で、瓶のふたを外すことを厭わない孤立主義ドナルド・トランプを大統領に選出しました。

不安定だが、限りない可能性も広がる日本

今や、瓶のふたが音を立てて揺れています。日本人の国家、国民としての自由は限りなく広がりつつあります。一方、「軍事費は諸外国に比べて相対的に低く抑えられ、経済活動に専念し、戦争の不安のない安定した平和の中で日々の暮らしを送っていく」というこれまでの価値観を現実の世界の中で維持し続けることは極めて難しくなるかもしれません。でも、いくらお願いしたところで嫌だという他国の軍隊、他国の政治を無理やり押しとどめることはできないのです。安全保障は現実に対応していかなければなりません。憲法9条を変える変えないにかかわらず、日本単独で国土を守れるだけの現実に則した本当の戦力持たなければならなくなる状況になるでしょう。お金もかかります。政治状況はプロレスでは済まなくなります。激しい対立が生まれるかもしれません。でも、自由は広がります。限りない可能性は広がります。

様々な兆候はあります。広告を武器に戦後のメディアを一元的にコントロールしてきた電通に対し、先ごろ労働基準監督署のガサ入れが入りました。アメリカの情報統制が色濃く反映した放送法下のテレビ局、新聞等のマスメディアに国民の厳しい目が注いでいます。フィリピンでは反米スタンスを明確に出した大統領が人気を博しています。トランプ大統領の誕生と時を同じくして韓国で政変が起こりました。近頃の一つ一つの事件、動きを見ると、直感的にアメリカの後退を感じずにはいられません。

日本も日米安保なき後の国家の在り方、人々の生き方について考えなければならない時代が到来したようです。

*1:1990年3月27日付ワシントンポスト紙における在日米海兵隊ヘンリー・C・スタックポール少将の発言「もし米軍が撤退したら、日本はすでに相当な能力を持つ軍事力を、さらに強化するだろう。だれも日本の再軍備を望んでいない。だからわれわれ(米軍)は(軍国主義化を防ぐ)瓶のふたなのだ」