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出演者が一人でも逮捕されるとお蔵入り(封印作品)。成宮寛貴の薬物疑惑から

成宮寛貴
成宮寛貴 第75回桜花賞表彰式 出典:ウィキメディアコモンズ)

成宮寛貴さんのコカイン疑惑が講談社の写真週刊誌「FRIDAY」にすっぱ抜かれ、国民的人気ドラマの「相棒」(テレビ朝日系)の再放送やDVD販売に支障が出そうだというニュースが全国を駆け巡っております。高樹沙耶さん、高知東生さん、高樹沙耶さん、押尾学さんなど過去の先例からみると当然に予想される事態です。

出演者が一人でも逮捕されると、なぜコンテンツがお蔵入りするのか?

出演者の一人だけでも逮捕されると、何故にテレビ局や版権を持った会社が番組の再放送やDVD販売を取りやめてしまうのか。またどのような理論構成でテレビ局をはじめとする業界はこうしたことを決めているのか。私自身は非常に関心があり、また多少の疑問が残るところです。

バラエティや出演者のトークを中心とする番組など、出演者自身のパーソナリティそのものが中心となって構成されたコンテンツの放送は控えるべきだという点については私も同じ考えを持っています(例えば、清原和博が麻薬使用時期に作られたトーク番組など)。しかしながら、ドラマ、映画など、出演者があくまでも第三者の人格を演じていているコンテンツについてまで、お蔵入りさせる必要があるのかという点については非常に疑問を感じるところです。

第三者に影響を及ぼさないケースもお蔵入りさせるのは行き過ぎ

確かに、出演者が別の第三者に対して危害を加えた場合、被害者や被害者の家族がテレビ画面を通して加害者を見たくないという感情とその理屈はわからないでもありません。しかしながら、今回の麻薬疑惑のように第三者に対し危害を及ぼしていない犯罪行為に対してもお蔵入り(封印作品化)させるのは、些か行き過ぎのような感じがしています。出演者たった一人のために、作品に参加した俳優、監督、スタッフ等、すべてが連帯責任を負うなど、およそ近代国家においてはあるまじき姿であるように思われてなりません。それとも、何か出演者とテレビ局等との間にはとんでもない奴隷契約が結ばれていて、契約違反による訴訟に持ち込んだほうが、その他の関係者が潤うような状況になっているのでしょうか。

メディアの立ち位置は、優れたコンテンツを国民に提供すること

お蔵入りをする決定を下すのは、公権力ではなく、九分九厘テレビ局や配給会社など版権の所有者です。そうであるならば、テレビ局や配給会社の立ち位置、存在目的は優れたコンテンツを国民に提供することであり、麻薬撲滅に取り組むことではないはずです。勿論、麻薬や犯罪を奨励してはいけませんが・・・。

民主主義国家において善悪の判断は国民が決める

善悪の判断は、民主主義国家では国民が判断します。映画の作品の主題、メッセージが麻薬使用の肯定でないのなら、今回のようなケースでも堂々と作品を放映、販売すべきだと思います。勿論、ビジネスとして視聴率が取れないからとか、販売しても売れないからということで判断するのは自由です。ただ、どうもメディアの側にPTA等から抗議されるのが嫌だとか、メディア自身が倫理者もどきと化してしまっているとか、自由な表現、言論を守る立ち位置にあらねばならないメディアがこの件では一貫して何か誤解しているように思えてならないのです。誤解ではなく、これこそが日本のメディアの本質、伝統だと言われればそれまでなのですが・・・。

日本のメディアは、もうそろそろ、慣習や空気のようなものでお蔵入り(封印作品化)を決めることから脱皮し、表現の自由言論の自由との兼ね合いの中で、徹底的な思考と議論を行うべきだと思います。そうした考えの深さ、精緻化がないと環境変化が起こった時、日本はあっという間に全体主義化します。